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「これなーんだ?」 そう言って、目の前にかざされた手には可愛らしいピンク色のパッケージ。 スイートシトラスハート 「チョコレートだな」 昼休み、昼飯を済ませた二人きりの屋上で浮かれた様子の菊丸が俺の目の前にかざしたのは、 コンビニなどでよく見かける、一口サイズのチョコレートだった。 こう言ってしまうと見も蓋も無いが正直言って、そんなに物珍しい物でもないような気がする。 いぶかしげな俺の様子を見て、いたずらを思いついた子どものような笑みをますます深めた後、 軽く胸を反らせた菊丸が種明かしをしてきた。 「ふっふーん、実はこれ発売前の新製品なんだよ。母さんが知り合いの人から貰ったんだって。 まだ、関係者以外は食べた事無いんだよん」 これ以上はないほど、嬉しそうに菊丸が言った。 なるほど。新しいもの好きというか、菓子類の新製品は試さずにいられない性分の菊丸にとっては、 自慢したい出来事だろう。 そんな菊丸の様子に俺の頬もつられて緩む。 「そうか、それは良かったな。それでその新製品は何味なんだ?」 菓子類自体は詳しくは無い俺でも知っているほどにメジャーな菓子だ。多種多様な味があることで知られており、 見かけるたびに新しい味が発売されている。 ピンク色のパッケージだけを見れば、イチゴ系の様だが新製品というにはありきたりだ。 「それは食べてからのお楽しみー。あんまり数が無かったから、手塚の分しか持って来れなかったんだよなー。だから、 他の皆には絶対絶対内緒だよ」 このくらいのサイズなら甘いの苦手な手塚でも平気だと思うんだけどと、 どことなく不安そうな顔をして菊丸が俺を覗き込む。 菊丸は天真爛漫な様に見えて、案外細やかに気を使う。菊丸のこういう部分を本当に愛しいと思う。 「分かった。ありがとう菊丸。ありがたく頂く」 「うむ、よかろう。ありがたく食すように。二人だけの秘密だかんね‥ちょっと待って」 そう言って菊丸がチョコレートのパッケージをとり始めた。 そのままでもいいと思うのだが、どうあっても食べるまで何味かは秘密らしい。 「ほい、どうぞ」 「あぁ」 菊丸に促されるままに、貰ったチョコレートを口に含む。 噛むと中から柑橘系のジャムが出てきた。 「おいしい?」 「あぁ、思っていたよりも甘みも少ないしな。これは‥オレンジか何かか?」 微妙に違うような気もしたが、この甘酸っぱさからいけばたいしてはずれでもないだろう。 菓子には精通していないので自信が無いが‥。 「おしい!!シトラスフルーツミックス味なんだって。オレンジとか柚子とか混ざってるらしいよ」 「ほぅ、そうなのか。それで、苦味が強かったのだな」 甘いものは苦手だが、このほろ苦さが丁度いい具合に甘みを中和したせいか、すんなり食べられた。 もしやそれで、この菓子を俺に進めたのだろうか。 こんな風に何気ないところで気を使ってもらえるのは、くすぐったくて何だか嬉しい。 気を使わせてしまったのは素直に申し訳ないと思うが、自分の恋人が自分のことを考えてくれたという真実は、何物にも変えがたい喜びだ。 そんな風に考え込んでいると、菊丸がニヤニヤしながら 「それで、このパッケージ名なんだけどね‥」 「シトラスフルーツミックスじゃないのか?」 先ほどそう言っていたはずだが? 確か、このチョコレートはそれぞれの味をパッケージ名をにしているはずだ。そう思って、まだ楽しそうにニヤニヤとしている菊丸を見る。 菊丸の顔が近づいてきたと思った瞬間、唇にキスを一つ落とされる。 「スイートシトラスハート」 突然の出来事に、少々驚いて固まっている俺に。そう言って照れくさそうに菊丸が笑った。 「恋人って意味のスイートハートとシトラスフルーツ使ってるからってことで混ぜて造語にしちゃったみたい。 これから夏に向けて恋人向けのイベント増えるでしょ? そんなイベントの合間のちょっとした空き時間に二人で食べて愛を深めちゃおーみたいなコンセプトなんだって」 味が柑橘系なのも、ファーストキスはレモンの味に引っ掛けてるらしいよ。 ちっちゃいのに詰まってる意味は壮大だよね。 と、菊丸がこのチョコレートのパッケージ名の説明をしている。 意を決してやってはみたものの、やはり照れが大きかったのだろう。 菊丸が良く喋るのはいつものことだが、こんな風に言い募るのは、照れている時だ。 「小さいけれど意味は壮大‥か」 あの小さなチョコに菊丸の精一杯の愛情が詰まっていたのだと思うと、じわじわと喜びで心が満たされてゆく。 本当にやられたと思う。いつも愛情をストレートに表現してくるのでこんな変化球は想像もしていなかった。 嬉しいけど、悔しいそんな甘酸っぱいとしか言いようの無い感情を菊丸を通して知った事を幸せだと思う。 スイートシトラスハートとはよく言ったものだ。 「そうなんだよー。母さんが熱っぽく語ってたってのもあるけど、俺結構感動しちゃってさー」 菊丸はその意味を理解した上で、食させる相手に俺を選んでくれた。傍から見れば小さな出来事かも知れないが、 俺にとっては非常に大きな意味を持った出来事だ。 「菊丸」 「何、手塚?」 そう言って、微笑んだ菊丸にお返しのキスを一つ落とし、抱きしめる。 この触れ合った唇から、指から、胸から、背中から、菊丸の真摯な愛情が伝わってくるようだ。 菊丸にも同じように、それ以上に、俺の菊丸への気持ちが伝わるといい。 そして俺は、念には念を入れるためとやはりやられっぱなしは悔しいので、 抱きしめたまま菊丸の菊丸の耳元で愛してると呟いた。 手塚って恥ずかしい奴などと言う声が聞こえてきたが、その声が嬉しそうだったので、 聞かなかった事にしておこう。 この穏やかな幸福をまだ楽しんでいたいから。 |
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