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「手塚おはよー」 いつもの朝の挨拶。奴にとってはなんとも無い事でも、俺にとっては大切な朝の一言。 グッドモーニングコール 菊丸英二本日朝練欠席。菊丸の声が聞こえない朝。 菊丸がいない以外は、何時の通りの日常なのに、何故か軽い喪失感。 「手塚、そわそわしちゃってどうしたの?英二がいなくて寂しいとか?」 意地の悪そうな顔で不二が俺を覗き込んできた。 顔に全力で面白がっていますと書かれていて非常に不快だ。 ‥第一、図星を差されたのが面白くない。 「別に、そわそわもしていないし、寂しがってもいない」 平静を装って答える。 ここで寂しいなどと言えば、後でこれをネタに何をされるか分からない。 それに、菊丸に伝える前に、この気持ちを洗いざらいコイツにぶちまけるのも 何か違う気がする。 「えー何それ、結構冷たいよね、手塚。がっかりだな、 愛する恋人がいないんだよ、もっと嘆き悲しんだりしない、普通。 本当につまらないなぁ、この冷血漢」 英二が可哀想。と真実そう思っているかも妖しい余計な一言を付け加えながら、 不二が大げさなポーズで俺の態度を嘆く。 冷血漢はどっちだ。お前の本音は「つまらない」の部分だけだろう。 言い返すのも馬鹿馬鹿しくなって、今日の朝練のメニューは何だっただろうかと 思考を飛ばしながら、大きなため息を一つ。 そんな俺の態度が気に食わなかったのか、不二がこちらを睨みつける。 「何その態度。部長として部員の話を真面目に聞いてやろうとか、 部員に娯楽を提供してやろうとか思わないわけ? 君は本当にサービス精神に欠けるね」 ‥誰だコイツを「優しくて誠実で素敵。本物の王子様みたい」等と評したやつは。 そいつに今の台詞と態度を見せてやりたい。 こいつは、自分の楽しみの為ならどんな(他人の)苦労も惜しまない、 自己中心的な性格をしている事を即座に理解できるだろうに。 「毎日充分楽しそうなお前にサービスをしなければならない、必要性を感じない。 それから、先ほどからアホみたいに喚いてる件について言わせて貰えばな‥」 「何か手塚何気に喧嘩売ってない?買うよ?」 不二が早速 剣呑な雰囲気を漂わせてきた。 その好戦的な所もどうにかしたほうがいいぞ、不二。 「俺は事実を述べたまでだ。喧嘩を売っているつもりは無い。 そして人の話は最後まで聞け。 先ほどからお前が喚いている件についてだがな、病気をしたわけでもなく、 何の連絡もなしに欠席しているわけでもない。 ご家族の用事で午後からは出てくるんだぞ。 何故お前を面白がらせるために、嘆き悲しまなければならない」 そう、菊丸は今日アメリカへ留学に旅立つ親戚を見送る為に、 朝練を欠席しているのだ。 寂しくないといったのは嘘だが、今生の別れじゃあるまいし、 そこまで大仰に悲しむほどではないのは確かだ。 だってアイツは昨日、学校に着いたら一番に俺の所へ来ると、 そう言ったのだから。 朝は休みだが、今日の放課後にはいつもと同じように、コートで笑っていることだろう。 「あ、手塚思い出し笑いしてる。このムッツリめ。 どうせ英二のことでも思い出してたんでしょ。正直に吐け」 不二はそう言い募りながら、ますます笑みを深くする。 周囲の奴らはとばっちりを喰らいたくないのか、目を合わそうとはしない。 薄情なやつらめ。 「黙秘権を行使する。いい加減にしないと、グラウンドを走らせるぞ、不二」 「何それ、そういうのを職権乱用って言うんだよ」 俺を非難しながら、流石に朝から予定外のランニングはきついと判断したのか、 不二が離れていく。 ついでにそのまま部室を出てくれればいいのだが、 朝練開始までまだ時間があるせいか、不二は俺から目線をはずさないまま、 ベンチに座り込んだ。 何があっても今日のターゲットは俺ということなのだろう。 「少なくとも、お前がその調子なら今日の部活がまともに機能しなくなる。 部長としてお前を正す為に、職権を適切に使用したまでだ」 「何それ可愛くないの。 たまにはしょんぼりした手塚何て面白いもの見れると思ったのに」 「お前は俺に何を期待しているんだ‥?」 「笑い」 真顔で返すな。本気でロクでもないなコイツは‥。 「手塚、あんまり眉間に皺よせると癖になるよ。 ただでさえ老け顔なんだから、意識して若作りしないと、英二に振られるよ こんなおっさんイヤだって」 その皺を寄せた原因が自分だという事、理解しているのだろうか。 否、理解しているからこそ、こんな風に言い募るのだろう。 どうしてこう捻くれているのか、俺には理解しがたい思考回路だ。 不二に比べれば越前のほうが余程理解が出来る。 「ていうか、越前と君は似たもの同士だしねぇ」 「人の思考を読むな。俺は先に出るからな、お前も早くしろよ」 これ以上不二に関わると(手遅れな気もするが)泥沼に嵌まってしまう。 時には引くのも、先方の一つだろう。 そう判断して俺は部室を出る。第一コイツが妙に絡むのは‥‥ 「不二、菊丸がいなくて寂しいからって俺に当たるのは止めろ」 やられっぱなしは悔しいので、一言反撃をして、部室の扉を閉める。 背後で不二が何か言っていたような気がするが、聞かなかった事にしよう。 不二も寂しいなら、寂しいと 他人に八つ当たりする前に素直にあらわせばいいのに。 「俺も人のことは言えないがな」 グラウンドに立って1人呟く。 不二のように盛大に周囲に迷惑をかけてまで、 寂しがろうとは思わないが、心に出来た喪失感はやはり埋めようが無い。 菊丸が早く姿を見せてくれればいいと思う。 そうすればこの心の隙間は埋まる。 埋まって、溢れ出て、いつも通りだけど、鮮やかな日常を与えてくれるはずだ。 いつもの様に大きな声で「おはよう」と言いながら掛けて来るその時、それが俺の1日の始まり。 |
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