そこだけ、まるで異空間。





ヴィンテージ






外は見ていると憂鬱になりそうな程の土砂降り。
部活も中止で‥というか、あまりの雨の激しさに午後からの授業は中止。

全国大会の前だというのに全くついていない。

真田は元々険しい顔を更に顰めながら、廊下を歩いていた。

平常時であれば、そんな真田を他の生徒が遠巻きに眺めていたり、テニス部員がからかったりするのだが、
現在学校には、教職員とどうしても学校での作業が必要な者のみが残っている状態である。
そのような反応を返す生徒もおらず、真田は自分が苛立っていることにも気がつかないで、帰宅する準備をするべく教室に向かっていた。



一応天気予報で今日の状態を予測して準備をしていたとはいえ、全国前の大事な時期に部活が中止になることはどうあっても耐え難く、
天気予報が外れてくれれば良いと願っていたのも確かだ。
自分が焦りすぎている事も分かってはいるが、青学にきっちりと借りを返し、立海が全国三連覇の悲願を果たす為にも
出来うる限り練習をし万全の状態で臨みたい。



だが、そんな真田の気持ちを無視するかのごとく外では雨は激しさを増しながら、降り続いている。




「今日は青学戦のデータ整理でもするか」
その上で、幸村や連二達と改めて青学対策を明日行おう。

諦めたようにため息をつき、そう1人ごちながら、教室へと入っていく。





すると人っ子一人いないはずだった教室の真田の席で見覚えのある銀髪が、外を眺めていた。





今にも消えてしまいそうな虚ろな表情で、







幻みたいに消えてしまいそうな風体で。










何を考えているのか馬鹿馬鹿しい。目の前にいるのは生きた人間だぞ。
真田はふと自分の中に浮かび上がってきた、考えを打ち消すように深く深呼吸をすると目の前の男に声を掛けた。







「何をしているのだ、仁王?」







「おぅ、お疲れさん、真田」


声を掛けられてやっと真田が教室へ帰ってきたことに気がついたのだろう。
少々驚いたような顔をして振り返ると先ほどまでの儚げな印象が嘘のように、鮮やかに微笑んで仁王が真田を見た。


「うむ。それよりお前は何をしているのだ?もう、殆どの人間が帰ってしまっているはずだが」


いつ交通機関が止まってもおかしくないほどの雨だ。
真田はテニス部の責任者として、全国大会について顧問と緊急の打ち合わせがあったので学校に残っていたが、
何も無ければとっくに帰っていただろう。


「何か用事でもあったのか?」
「んー?特には」
「そうなのか、だったら‥‥」

早く帰らなくて、良かったのかとその言葉を遮る様に仁王が言葉を重ねる。

「何か待っときたかっただけなんよ。意味は無いから気にせんでえぇ」

そう言って、真田帰ろうと手を伸ばす仁王が、何故か痛々しく思えて、真田は仁王の手を取りそのまま、きつく握り締めた。


―――――――なんだこの氷のように冷たい手は‥‥?


あまりの冷たさに、驚きつつも離すことなく更に力を込めて真田は仁王の手を握る。


「何だ?真田」


無言で自分の手を握る男にいぶかしげな顔をしながら、何かあったのかと問いかける。
まさか自分が差し出した手を真田が何の躊躇もなく握るとは思ってもいなかったのだろう。
仁王の顔にははっきりと困惑の表情が浮かんでいる。


仁王その表情に、自分はまたやってしまったのかと、真田の胸に後悔の念が過る。



仁王の好意の上にまたもや胡坐をかいてしまった。



夏とはいえ、今日は雨が降っていることも手伝って、半そででは少々肌寒い。

こんな天気の中、こんなにも冷たくなるまで誰もいない教室で、一人待っていてくれた仁王の心情を慮れば、
先ほどの自分の態度が彼を傷つけたことは間違いないだろう。


まったく、自分のふがいなさに腹が立つ。


そう心の中でため息をつくと、真田は仁王を真っ直ぐ見据え口を開いた。

「その‥‥待たせてすまなかったな」
「はい?」
「いや‥‥その電車も止まってしまうだろうに、待たせてしまってすまなかったな。こんな寒い所で」
「別にええ。つうか俺が勝手に待っとっただけじゃ」



そう言って、仁王が少し寂しそうに笑う。

その瞬間何かが弾け飛んだように真田が仁王を己の腕の中に、引き寄せた。


「良くは無い」

「‥‥真田?」

「良くは無い。お前がこんな風になるまで待たせていたことは、俺にとっては恥ずべき事だ」

「別に約束しとったわけやないけん‥‥」

これは自分が勝手にやったことなのだから、と仁王はそう呟く。

「それでも、お前がこんなに冷たくなるまで待っていたことは事実だし、それを俺が労われなかったのも本当だ」


そんな風に考えてしまう仁王を愛しいとも思うし、もっと自分に甘えてくれればいいとも思う。
こんな自分の気持ちが仁王に少しでも伝わったらいいと、祈るような気持ちで真田は腕に力を込めた。


「そんな‥‥」

真田の腕に包まれながら、仁王がポツリと言葉を漏らす。

「何だ?」

「真田はズルイ。そんな風に言われたら俺何も言えんくなるじゃろ」

そういった後、仁王は恐る恐る真田に腕を回す。


「仁王?」

今度は仁王が真田に腕を回したまま、何の反応も示さない。
そんな仁王をいぶかしく思った真田が、呼びかけてみると仁王はポツリポツリと言葉を漏らし始めた。



「教室寒いし」

「そうだな」

「いい加減腹も減ったし」

「そうか」

「電車もう止まっとるやろうし」

「そうだろうな」

「真田はぬくいけど」

「そうか」


甘えられるのも何だかくすぐったい。

仁王の愚痴とも我侭とも取れる言葉を寛容に受け止めると、真田は一呼吸置いて穏やかに話し始めた。


「なら、家に来るか。ココよりは暖かいし、食べる物もあるだろうし、徒歩圏内だから交通機関が止まって様が関係ない」


思ってもいなかったのであろう真田の誘いに仁王の体がピクリと反応を示す。
そのことを感じた真田は落ち着かせるように背中をゆっくり抱き締め直し、再度問いかけた。


「こんな雨の中を返すのも忍びないからな。仁王が不都合でなければだが‥‥どうだ?」






「‥‥‥行く」








長い沈黙の後、そんな返事と共に胸の辺りで何となく仁王が笑った気配がして、真田も先ほどまでの険しい様子が嘘のように笑みを零した。




仁王の持つ寂しさを、いつか自分が溶かせる様にと願いながら。





寒さに震える彼を暖めるのが、いつでも自分であればいいと願いながら。



寒い教室の中、二人で共有するこの空間だけが穏やかな日差しでも差し込んでいるかのように暖かかった。
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